昔話嵐話②
こんばんわ。
Nananaです。
昔話嵐話の後編です。
時系列忘れてしまった。笑
嵐のファンになってから、
私は好きなものを掘るという作業をあまりしないんだなって自覚させられました。
というのも、
私は番組録画もCDもファンクラブも全て母任せでした。
母は最初ファンクラブに自分が入るのに抵抗があったので、
私を入れた。(その後、母自身と父もファンクラブに入れる。)
苦手な機械の操作を一生懸命覚えてて、
いつのまにかSNSやブログで嵐の情報を載せる人を見始めていた。
CDも予約をしに色んなところ巡ったり。
(予約が売切してるお店ばかりだった)
コンサートの日程も申込日も全て指示してくれていた。
今もです。
東京、北海道、ハワイに至るまでコンサートの遠征費は全て母持ちでした。
字面にして思い出すと本当に頭が上がらない。
そういえば、
ハワイのコンサートの時の母のメールは忘れれません。
仕事中にケータイが光る。
画面を見ると、
母"ハワイ行こうぜ!嵐がライブする!"
私は当時も貧乏フリーターでした。
私"時間はあるが、金はない。"
母"任せろ。"
思わずキュンってしてしまった。
かっこよすぎる。
基本的に何も考えずについて行くだけの私。
あれ?お荷物。
母と私が嵐を好きになって10年間、
母は夜勤明けのピリピリしてるのが、幸せそうにテレビを見て寝るようになってました。
それを見るのも好きでした。
テレビの前で2人で踊ったり。
母と2人で色んな場所に行き、美味しいご飯も食べました。
父と母と私の3人でコンサート行ったのも楽しかった。
楽しい思い出いっぱい。
休止発表の記者会見でも嵐らしい5人を見て、
母と電話して"それもまた良かったね"
って言ってました。
今年の20周年のコンサート当たったらいいなぁ。
母と最後に行きたいな。
母持ちやけど。
あれ、
何年経っても貧乏フリーター。
がんばろ。
10年間色んな思い出作れて、
楽しかったっていう日記になっちゃった。
明日からはまたダンスに関係しそうなこと書きます。
ありがとうございます。
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